担降りブログがわからない
タイトルの通り、担降りブログがわからない話です。
わからない、とありますが、「理解できない」というよりは「納得しない」みたいなニュアンスです。
単にわたしが担降りブログという文化を迎合する気が無いというだけなので、「こういう気持ちで書きました!」「ここが良いです!」とか言われても、あっそうなんですね……と薄ら笑いを浮かべるだけでお互いにとって何もいいことがないし、やめておいた方が吉。よろしくお願いします。
インターネットという広大な海の中でこのブログにたどり着く人なんて9割9分同類だと思ってるので、わざわざ説明することでもないとは思うんですが、一応少しだけ。
担降りブログというのは読んで字の如く、担当を降りることを報告するブログでして、好きなアイドルのことを担当と表現するのはジャニオタくらいだと思うので、厳密にはジャニオタの文化なのかもしれません。
が、そのあたりを気にし始めると話が長くなりそうだし面倒なので割愛。すみません。
オタクというのは日々人知れず、声高々にお気持ち表明する生き物なので、担降りブログもその一種であると認識してるんですが、それがね、わからないんです。
担降りブログ、必要 ある?
世の中にあるもの全てを必要か不必要でカテゴライズしてしまうのも無粋だから好きじゃないんですけど、でも、必要ではないと思うんですよね。わたしはね。
あなたをもう好きじゃなくなったという宣言をわざわざする必要があるのかなと。思ってしまうわけです。
全てのアイドルがエゴサーチをするわけではないし、していたとしても、自分の好きだったアイドルが、自分が書いた担降りブログなるものを見つける確率はそこまで高くないかもしれません。
アイドル、忙しいから担降りブログ読む時間あったら休んでほしいしね。
でも、それを世に放った時点で誰かに読まれる可能性は生まれるわけで、その"誰か"の中に、担当、あるいは推しだった人がいることも当然あるわけで。
そう考えると、担降りブログってなんなんだろうなぁとわたしは思ってしまいます。
オタクというのは、勝手に好きになって、勝手に好きじゃなくなる、ワガママな生き物です。
そのワガママに好きな人を付き合わせるのって、楽しいのかなぁと。
わたしが思うに、担降りブログというのは、自分がこれまで応援してきた時間を自分の中で綺麗な思い出に昇華させるもので、でもそれって、端から端まで自己満足だと思うんですよね。
だったらもう非公開にして誰にも知られずに去ればいいと思うんですけど。
知っていてほしいのかな〜なんて、思います。
あなたを好きだった人がここにいたんだよって、そうやって、好きな人の心のどこかに小さなひっかき傷を作りたいのかなぁと。
いやそれ、いらなくない?
傷、なくてよくない?
生きてるだけで何かしら傷つけてしまうし傷つけられるのが人生だと思うし、アイドルという不特定多数の人からさまざまな感情を向けられる存在であれば、傷つけることも傷つけられることも、人の何倍もあるわけで。
その傷増やすやめな〜い?と、わたしは思います。
好きな人は好きだった人になったけど、もしかしたら、傷つけられたから傷つけてやろうと思ったのかもしれないけど、それなら、やり返さずにおいしいもの食べてたくさん寝て、ハッピーになってやりましょう。
あなたを好きじゃなくなっても、わたしは幸せになれるんだよと、胸の内で叫べばいいと思います。
反対に、担降りブログの対義語(としてわたしが勝手に認識している)、沼落ちブログは大好きです。
好きだったものの話より、好きなものの話をしませんか!
わたしはわたしで沼落ちブログをまだ書いていなくて、というか気付いたらめちゃくちゃ好きになってたので文脈もクソもないんですが、多分書くとわたしがハッピーになれるのでそのうち書きたいと思います。
そんなわけで沼落ちブログ溢れるハッピーな世の中になればいいなと思います!押忍!