推しは推せる時に推してる
日々、さまざまな理由でアイドルがステージを去っていくわけですが、その度に見かけるのが
推しは推せる時に推せ
というフレーズ。
どこの誰が言い出したのか知りませんが、わたしは視界に入るたびに
うるっせ〜!!!!!!!!!
と思ってしまったり、してます。
推しはね、推してんのよ。
「推す」という言葉の定義はオタクの数だけあると思うんですけど、みんなね、推してんのよ。
CDを買ってなかったら推してないとか、ライブに行ってなかったら推してないとか、そういうことじゃないと思うんですが、それはそうとして、やっぱりたくさん会いに行きたいし、自分にできる範囲でCDやグッズを買ったりして応援したい。
そういう瞬間のことを「推してる」と表現しがちなのかなぁと思います。
推しはね、推せたらね、推してんのよ。
でもそれができない時だって、あるんだよ。
アイドルにアイドルの人生があるように、オタクにもオタクの人生があって、アイドルの人生とオタクの人生が交差する時間って、必ずしも長いわけではなくて。
推せない時って何かしらの理由があると思うんです。
勉強頑張りたかったり、仕事に追われていたり、そうやってアイドルを応援するのに割く時間が短くなってしまっても、それは仕方のないことなんじゃないかなぁと。
あの時勉強せずにライブ行ってたら、仕事投げ出して握手会行ってれば。
それでもどうにかなることだってあるし、どうにもならないこともある。
自分の行動の責任を取れるのは自分だけで、その時自分に必要なことをしていて推せなくても、しゃーなしじゃんね、とわたしは思ってます。
だってアイドルが代わりに受験するわけじゃないし、書類片付けるわけでもないしね。
だから
推しは推せる時に推せ
なんて言われると、
それができたらしてんだよ、と叫びたくなってしまいます。しないけど。
余談ですが、わたしは「このグループ気になるな〜」なんて動画を漁っていたその日の夜に解散発表が出たり、「うーん推すならこの子かなぁ」と決意した翌日に卒業を告げられたり、そんなことばかりなのでまあまあの疫病神なんですけど、それでも出会えてよかったと心の底から思うし、今でもずっと大好きです。
ついでにわたしの好きな言葉を勝手に紹介します。(何のついで?)
映画『ポカホンタス』に出てくる言葉で、
「こんなに苦しむのなら出会わなければよかった」
という言葉に対する
「僕は明日死んでもいい、君を知らずに百年生きるくらいなら」
という言葉なんですが、
これ〜!これこれ〜!と首取れるくらい頷きました。
しかしポカホンタス自体をまだ観てないので多少説得力に欠ける節があるのが難点。すみません。
好きだと伝えられる時間がどれだけ短かろうと、伝えられなくとも、アイドルを好きになったことで幸せだと思う瞬間はたくさん増えました。
アイドルにはアイドルの人生があって、わたしにはわたしの人生があって、アイドルの人生はわたしがいなくたってあったし、これからも続くし、わたしの人生もアイドルがいなくとも成立します。
それでも、その二つが交わった一瞬にどうしようもなく救われることが数えきれないほどあって、いつか来る別れの寂しさを吹き飛ばすほどのまばゆい輝きを目蓋の裏に焼き付けられたら、もうそれでいいんじゃないかなって。
推せる時に推せなくたって、好きな人に出会えただけで人生丸儲けだと思います。
結局は愛!